京浜歴史科学研究会 歴史を歩く会 2010年秋
秋の両国を歩く
-忠臣蔵・大震災・大空襲-
【日時】 | 11月14日(日)(雨天順延 11月21日<日>) *実施の問い合わせは当日午前6~7時までに事務局へ |
【集合】 | JR両国駅西口改札口 午前10時 |
【コース】 |
JR両国駅西口改札口<集合> ↓ 両国橋 ↓・大山詣での垢離場(こりば) ↓ 回向院 ↓ 吉良邸跡 ↓ 不知火の碇 ↓ 勝海舟生誕の地 ↓ 芥川龍之介生育の地 ↓ 両国国技館 ↓ 旧安田庭園<昼食> ↓・安田善次郎 ↓ 横網町公園 ↓・東京都慰霊堂 ↓・東京都復興記念館 ↓・関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑 ↓・東京の大空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑 ↓ 財団法人同愛記念病院 ↓ 蔵前橋 ↓ 厩橋 ↓ 駒形橋 ↓ 吾妻橋 ↓ アサヒビール工場跡地 ↓ 勝海舟銅像 ↓ 隅田公園 ↓・掘辰雄記念碑 ↓ 牛島神社 ↓ 言問橋 ↓・東京スカイツリー ↓ 浅草寺<解散> |
【参加費】 | 1000円(資料代を含む) |
【昼食】 | 昼食(弁当)は各自でご持参下さい |
【解散】 | 午後3時頃、浅草寺前で解散予定 |
【諸注意】 | 本日の終了予定時間は午後3時頃ですが、場合によってはもう少し時間がかかることがあります。 途中、車の交通などで危険な箇所がありますので、前後の交通に注意し、なるべく一列になるようにご協力ください。 一番後方にも係員がつきますので、自分の速さで歩いて一日の行程を楽しんでください。 その他、わからないことがありましたら、青い腕章をつけた係員に申し出てください。 |
徳川綱吉は、それまでの「武威」を重んじた政治に変わって、朱子学を重く用いた政治を行った。後の世から悪政と言われた「生類憐み令」にしても、犬・人間を含めたすべての生類を「仁」の下に幕府の管理・保護下に置くことを目的としていた。
しかし実際の政治とあるべき理想は必ずしも一致するわけではない。そのことは赤穂浪士の吉良邸襲撃事件を見ても明らかである。
浪士たちの行動は主君の仇を討つという「義」を実行に移したものであり、朱子学の教えからすれば本来賞賛されるべき行動という者もいた。しかし、彼らを処罰しなければ集団間の私闘を許したことになり、幕府や藩が守るべき「平和」な秩序は維持できなくなる。
幕府は襲撃後、46人の赤穂浪士をいったん泉岳寺から仙石伯耆守の 屋敷に引き揚げさせ、それから細川越中守、松平隠岐守、毛利甲斐守、水野監物の4大名家に預けさせた。
忠義を奨励していた将軍綱吉や側用人柳沢吉保をはじめとする幕閣は死罪か切腹か助命かで対応に苦慮した。
学者間でもさまざまな議論がかわされた。林信篤(大学頭)や室鳩巣(儒学者)は義挙として助命を主張した。荻生徂徠(儒学者、柳沢吉保に仕えた)は、①浅野長矩はもちろん赤穂浪士の行為も、公法からして義ではなく不義である。②しかし主君のために敵討ち(復習)するのは、私(わたくし)において士の恥を知るものであり同情できる。③従って彼らは切腹に処するべきだ、と主張した。この荻生の主張が採用され、浪士には切腹が命じられた。
結局、一面では賞賛されるべきであった浪士たちを綱吉は処分せざるをえなかった。すなわち綱吉の考えた(理想とした)道徳国家はついに実現されなかったのである。