歴史を歩く会 2001年春
近代黎明期の神奈川を歩く
1.実施要綱
2.概説
3.見学ポイントの解説
4.参考史料
【日時】 | 4月15日(日)(雨天順延 4月22日<日>) *実施の問い合わせは6〜7時までに事務局へ |
【集合】 | 午前10時 JR京浜東北線東神奈川駅東口 |
【コース】 | 東神奈川駅(集合) ↓ 金蔵院 ↓ 熊野神社 ↓ 高札場(神奈川地区センター) ↓ 成仏寺 ↓ 慶運寺 ↓ 本陣跡(第一京浜/滝ノ橋付近) ↓ 神奈川台場跡 ↓ 神奈川公園 ↓ 幸ヶ谷公園(昼食) ↓ 洲崎神社 ↓ 普門寺 ↓ 甚行寺 ↓ 本覚寺 ↓ 大綱金比羅神社 ↓ 神奈川台関門跡 ↓ かえもん公園(高島台と高島嘉右衛門) ↓ 内山岩太郎銅像 ↓ 上台橋 ↓ 横浜駅西口(解散) |
【参加費】 | 1000円(資料代など) |
【昼食】 | 昼食(弁当)は各自でご持参下さい |
【解散】 | 午後2時頃を予定 |
【諸注意】 |
本日の終了予定時間は午後2時頃ですが、場合によってはもう少し時間がかかることがあります。 トイレの場所は限られていますので、係員の案内に注意してください。 途中、車の交通などで危険な箇所がありますので、前後の交通に注意し、なるべく一列になるようにご協力ください。 一番後方にも係員がつきますので、自分の速さで歩いて一日の行程を楽しんでください。 その他、わからないことがありましたら、青い腕章をつけた係員に申し出てください。 |
東神奈川駅についた私は、またもや電車は出てしまったばかりであることを知
った。ガランドーの一層すすけてみえる車の一隅に腰かけて、運転手も車掌もい
ないこの車が、出るのはいつのことやらと、ぼんやりとしていた。それでも一人、
二人と一通り座席がふさがったかと思われた頃、駅員の持つメガフォンがけたた
ましく響いた。「待避待避」あっという間の出来ごとであった。私は一つの防空
壕にとび込み、否、投げとばされて、半分気を失ったようである。ふと、振り返
ると、今少し前、座っていた国電の窓という窓、火の舌を出してさながら大蛇
のような形相である。私は目を疑った。誰かのどなる声がして、どなられている
のが自分たちらしいと知って走り出した。(略)
道路の両側には古い商家が続いていて、いまだ健在であった(これが京浜第一
国道だと思われる)。軒下をゾロゾロと人々が群れをなして走っていくのが見え
た。(略)
突然、頭上で異様な音がした。ちょうど夕立を思わせるザザーッという音であ
る。ふり仰ぐと、小さな十文字が三つずつ、群れをなして煙の間に現れ、煙の中
に消える。「これが敵機の編隊だな」と思う。間もなくアスファルトの道路に沢
山の筒状のものが、重そうにボトンボトンと落ち始めた。非常に大きなものに見
えたそれらは、必ず地上に当ると、生きもののようにはねあがって(その高さは
私の背丈程もとび上る)再び落ちる。そしてその時は、ドロドロと何か液体を吐
きちらす。吐き出されたその液体は、ドロリとしていて、コンクリートといわず、
柱といわずへばりついて、アッという間に燃え出す。広い道路のあちこちに火の
地図を描き出した。また、その無気味な液体は逃げゆくどこかの婦人の背中にも
へばりつき燃え出し、何か叫んだように思えたが、そのまま道路にころがって助
けよう術はない。或いはまた、その液体は道路に流れ出し、とりもちのように、
燃え出しもせず逃げ行く人々の足をとった。もちろん、私の足許にも何本かが響
きを立てて落ちた。およそ畳一枚に三本から五本位の密度であったと思う。これ
が焼夷弾であった。
小野静枝(市立第一女子商業学校2年生、当時13歳)
横浜の空襲を記録する会編『横浜の空襲と戦災』第1巻(昭和51年)